「リウマチと診断されて」小林千賀子 60歳

 

2003年12月31日

 2000年6月、永いこと勤めていた会社を辞め、自分のやりたいことが思いきり出来ると、いろいろ計画を立てていた矢先のことでした。

 左手中指の第2関節が赤紫色に腫れ上がり,痛痒い状態が続き、夏だったので、毒虫にでも刺されたのかと思っていたのですが、そのうち首まで痛くなり、近くの病院へ行きました。検査の結果はリウマチで、しかも「数値が最近発症したものではなく、だいぶ前から症状があった筈だ。」と先生に言われました。

 

リウマチとは気づかずにいた1年間

考えてみると、思い当たる症状はいくつかありました。

朝起きて階下に降りるとき、両足の踵とアキレス腱あたりが、痛みを伴ったツッパリ感があり、その感覚は朝一回だけで、階下に下りてしまえば痛みもなく、家事一切をすませ出勤し、会社でも普段どうり仕事をしていたので、リウマチの症状とは思ってもみませんでした。普段履き慣れていないハイヒールで外出し、長時間歩いた時など、両足親指付け根部分に、強い痛みを感じることが度々ありましたが、いつものローヒールの靴を長時間履いていても痛まないため、靴が合わないせいだと思い込んでいました。長時間正座していたり、庭の草取り等でしゃがみ込んで、同じ姿勢が続いて立ち上がる時、体がゴキゴキと軋むような、滑らかに動けない状態が、1分から2分位続き、動き始めると元に戻り、普段通り動けるので、これも加齢のせいだと決めつけていました。思い返せば、こんな状態が一年以上続いていたのに、さほど気にも止めず過ごしていました。これがリウマチの始まりだったとは・・・・

リウマチと診断されてからは、本を読み漁り、リウマチ専門医を探したり、リウマチ友の会に電話し、情報を収集したり、少しでもリウマチのことを知ろうと、自分なりに勉強しました。でも知れば知るほど、絶望感に襲われ、何で私がこんな目に会うのかと、落ち込むばかりでした。

 

リウマチ専門医を紹介されて

 2000年8月19日、千葉市のリウマチ専門医を紹介され、そこはリハビリ用のプール、パラフィン浴,その他いろいろな器具が揃っていて、とてもきれいな病院でした。私の順番がきて、診察室に入ると、先生はパソコンに向いたまま、私の病歴や、家族構成や、現在の症状などをインプットしながら、聞いていました。そして「今は夫婦二人の生活だ。」と言うと、「結婚して独立している娘夫婦と、一緒に暮らすことを考えなさい。」と、真顔でおっしゃり、何の事か解らず質問すると、「いずれ動けなくなった時の事を考え、今から準備しておいた方が良い。」ということでした。治療がまだ始まってもいないのに、「この病気になったら、どんな治療をしても、徐々に悪くなって、最後は動けなくなりますよ。」と宣告されたようでした。その時のショックは、今でもはっきり覚えています。そして将来の自分の姿であろう、待合室の大勢の患者さんの姿が目に焼き付いて、その日は食事ものどを通らず、泣いてばかりいました。

それでも痛みには耐えられず、週1回通院しましたが、痛みは治まるどころか、全身を移動しはじめ、1ヶ月した時、「今までの薬では、効果が出にくいので、ステロイドに切り換えます。」と言われました。私は、ステロイドの副作用の怖さを少し知っていましたので、服用しても体が拒絶反応をおこしているかの様に、全然効目がなく、痛みは増すばかりでした。

 

松本医院との出会い

そのころ、私は会社を辞め、パソコン教室に通い始め、インターネットを習ったばかりの時でした。その日も、インターネットでリウマチを検索していたら、松本医院のホームページが目にとまり、「漢方でリウマチが治る」とありました。今まで読んだ本にも、通院している専門医の先生の話からも、「リウマチが治る」ということは、一切読み取ることができず、自分の気持ちの中でも、一種諦めの様なものを抱いていました。「リウマチが治るなんて? ちょっと、うさん臭い。インターネットのホームページなんて、何の規制もなく、誰でも何でも書き込めるんだから、ひょっとしてインチキかも;・・・・・」でもやはり気になり、次の日も、その次の日も、松本医院のホームページを開いていました。

 たまたま、そばにいた夫が、漢方に興味をもっていたこともあり、「とにかく電話してみれば」と、背中をポンと押してくれ、おそるおそる松本医院に電話をしてみました。

私の話を聞いた後、松本先生が「今飲んでいる薬は、何と何?」処方されている薬を全部言うと「すぐ止めなさい、漢方で、必ず治してあげるから。」千葉県に住んでいて、通院出来ない旨を話すと、遠隔治療もしてくれるとのことで、気がついたら、夫に付き添われて、翌日の新幹線に乗っていました。

 

漢方薬治療開始

 

 2000年10月14日松本医院へ

 その日の日記には、こんなことが記されていました。

『高槻の駅から、松本医院はすぐそばだった。でも松本医院の看板には、漢方という字がない。どうしてかなー。階段を昇り、ドアを開けたとたん、漢方薬の匂いがプーンとした。待合室には患者さんが入りきれず、外にまでいるのを見た時,私の心配は霧が晴れた様にすーと消え、「もしかして、本当に、リウマチは漢方で治るかもしれない・・・」松本先生の印象は、声の大きな、まるで八百屋か魚屋の威勢のいいオッサンみたい(失礼しました。私の医者のイメージを、はるかに超えていましたもので)』

そして夫と二人で、治療法や、松本先生の持論を聞いた後、「必ず治してあげる。」と、大きな両手で握手をしてくれた時は、本当に心強く感じ、この時、松本先生に賭けてみようと思いました。

こうして漢方薬での治療が始まりました。

 

4つの柱からなる漢方薬治療

 漢方薬の治療とは、投与された薬を指示どおり服用するだけの、今までの治療とはまったく違い、自分で薬を煎じ、自分でお灸をし、自分で薬湯を沸かして入浴し、鍼治療にも通うという、全く経験のないことばかりで、戸惑い、失敗、いろいろありました。しかし私は会社を辞めて家に居りましたので、これからは、この治療法を自分の仕事と思い、頑張ってみることにしました。

1.煎じ薬

 朝起きてすぐに始めるのが、40分かけて作る、煎じ薬です。今は1番煎じだけですが

始めの1年間は、3番煎じまで作り、お茶がわりに飲んでいましたので、うっかりガスにかけっぱなしで、薬を墨状にしてしまうこともしばしば、土瓶も2個だめにしました。

 ポリ袋の結び方がかたい薬がたまにあると、指先が痛くて思うようにほどけず、こんなことも出来なくなってしまったのかと、情けなく思ったり・・・

 そして家の中は、漢方薬の匂いで充満し、たまに帰って来る娘からは、「泊ってゆくと、服に、漢方薬の匂いがしみ付くから」と敬遠されたりしました。

2.お灸

 夫を送り出してから、痛いところへお灸をすえます。痛い指先を使い、もぐさを小さく丸める作業は、思いのほか大変で,時間のかかることでした。

不思議なことに、痛みのひどい所はお灸が熱く感じず、痛みが遠のく心地良さがあり、なんだかお灸の真髄を発見した気分になりました。ところが、翌日お灸の痕を見ると、火ぶくれになっていて、潰れて水が出ている個所まであり、驚いて先生に電話で相談すると「お灸は熱いと感じた瞬間に、もぐさを取り除きなさい。」と言われ、それからは、火ぶくれはありません。

3.薬湯

 寒さに向かう季節だったこともあり、体が冷えると痛みが増す様で、その頃の私は、4つの仕事のうち、この薬湯が一番好きでした。松本先生は、「入浴時間は、なるべく長く」と言われましたが、カラスの行水の私はのぼせてしまい1、0分がやっとでした。そこで1日最低3回、入浴することにしました。薬湯につかると、体中の痛みがスーと和らぎ、にぎれなくなっていた右手の薬指も、湯船の中ではかなり曲がり、ギシギシしていた全身がほぐれて、本当に体も気分も楽になり、入浴が楽しみでした。ただ薬湯が6時間しか保存出来ず、せめて12時間くらいもてばと、いつも思っていました。

4.鍼治療

「鍼治療は、週1回は必ず受ける様」松本先生に言われ、近くでいろいろ探しましたが、3件目で、自分に合った治療院がやっと見つかり,欠かさず通いました。外出する機会が極端に少なくなっていた私は、全身が軽くなり、気分転換も出来て、とても良かったと思っています。

 

アトピー発症

 

 漢方薬の治療を続けると、免疫抗体の型がアトピーの型に変換し、アトピーが出るとリウマチの痛みは和らぐと,最初の説明の時、松本先生がおっしゃっていましたが、3ケ月を過ぎたころ、目のまわりと首の付け根あたりが痒くなり、もしかしてアトピーかなと思っているうち,背中、腕、足、耳,鼻、頭と、全身にアトピーがひろがりました。気がついてみると、松本先生の言葉どおり、リウマチの痛みはかなり軽減されていました。

この時、「漢方で、リウマチは治る。」ということを、自分自身で実感した様に思います。

 

リウマチの再発の落とし穴

 

 漢方薬での治療は、私をあの苦しみから、思いのほか早く救ってくれました。1年ほどで、痛みはほとんどなくなり、普段の生活も、昔と変わらず出来るようになり、ただ、体のきしみ感や、ごわごわ感、手首の違和感などはしつこく残っていました。やはり厄介な病気であることには変わりなく、徹底的に戦う決意をしたのもこの頃でした。その後も、いい加減な性格の私が、自分でも驚くほど真面目に治療を続け、アトピーもリウマチも、すっかり治ったつもりでいた頃、落とし穴ありました。

 2003年3月、久しぶりにハワイ旅行を楽しみ、10日間、薬を飲まずに過ごしましたが、何の異常もなくすっかり安心して、そろそろ手記を書こうと思ったとき、夫の91歳の母が倒れ、岐阜と千葉を何度も往復することになりました。悪いことは重なるものらしく、私の母まで入院したりで、過労と心労で、自分のリウマチのことなど、すっかり忘れていました。

 二人の母がやっと落ち着いたある日、左足親指の付け根部分に、覚えのある痛みを感じいやな予感がした。リウマチ再発か?あわてて松本先生に電話をしました。「ストレスで再発したと思うけど、ぼくがもう治ったと言いましたか?自分で勝手に、薬を止めたりしてはいけない。」と怒られてしまいました。

 漢方薬治療を再開して半年経ちますが、11月の検査結果も異常なく、体の調子も今大変良い状態で、週1回体操教室に通い,月6回は、動きの激しいロックソーランの踊りの練習に行き、また時々友人に頼まれるアルバイトもこなせる様になりました。

 先生からは、漢方の煎じ薬だけ、もう少し続けるように言われ、今度は先生からOKが出るまで、しっかり飲み続けるつもりです。

 

松本先生に感謝

 

 何事にも慎重な私が、インターネットのホームページの情報だけに何故飛びついたか、自分自身、今だに理解できないのですが、あの悪夢のリウマチから開放されたことは、まぎれもない事実で、松本先生との出会いは、本当にラッキーだったとつくづく思います。

 私は先生に治して頂き、幸いでしたが、私の子供、孫たちが、万一リウマチになった時、先生の後継者はいるのか、ちょっと不安に思っています。

 最後になりましたが、松本先生、本当にありがとうございました。